2008年07月17日
空のコンテスト〜前橋市Iさんより。
私の母は料理のセンスがない。中でも天麩羅は最悪で、いわゆる「家で食べる天麩羅」の域に達した日はまだ上出来で、「これは何を揚げたのか?」と首を傾げるような「傑作」を「創作」する事度々。
社会人になり、上司に連れられ老舗の天麩羅屋の暖簾をくぐってからは、「これが『天麩羅』だったのか!?」と目から鱗の感動を覚える程に、母の作るそれは戴けない代物だった。
ところが先日、久し振りに実家に寄る機会があり、母は「作りすぎたから」と例の天麩羅を食卓に並べ私に食べるよう促した。
うだるような暑さの1日の終わり…「油まみれの母の天麩羅は、お世辞にも旨いと言える代物ではない。取り敢えず箸だけつければ…」と考え一口運ぶと…若かった頃には味わえなかった滋味深さがそこには確かに存在した。
「どう?美味しい?」と私に尋ねる母の言葉に、「少しは上達したんじゃない?」と軽口を叩きながら、天麩羅を頬張っている自分に驚いた。
母の家庭菜園で収穫した、カボチャとインゲン、シシトウだけの普通の「田舎の天麩羅」の中に、静かな安らぎを私は覚えていた。
それは自身が家庭を持ち、「2人だけで揚げ物なんてキッチンが汚れるし、無駄が多い」だの「夏は天麩羅なんてキッチンが暑くて」などと言い放つ妻を前に、遠慮していた私が、「家」という空間で「家族」に囲まれて食べた久し振りの天麩羅だったのだ。
母さん…私はあの日、あなたの「想い」も一緒に味わったのだと思います。
今日の蒸し暑い、ぼんやりとした雲に霞む空を見ていたら、また母さんの「そこそこの出来を愛情でカバーしてる天麩羅」を思い出しました。
また食べさせて下さい。
(原文のまま。)
Posted by セラピストm at 10:39│Comments(0)│TrackBack(0)
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