2008年07月24日
空のコンテスト〜前橋市Uさんより。
身近にいる偉人に、祖父がいる。偉人というか、俺の中では生涯決して乗り越える事が出来そうにない偉大な「男」だ。夏生まれのじいちゃんは夏に逝った。
竹馬に乗れるようになれたのも、蚊帳を張ってくれたのも、力強い腕で肩車をしてくれたのも、釜あげで生醤油とネギだけで食らうのうどんの旨さを味あわせてくれたのも、虫や草木の名を面白おかしく教えてくれたのも、みんな俺にとってはじいちゃんだった。
大正元年生まれのじいちゃんはいつも温厚で、厳しさよりも朗らかな男で居続ける事の偉大さを、孫だった俺に強烈に印象付けた。何より争い事が大嫌いだった。
そんな、孫からみたらひたすら優しい身の置き所だったじいちゃんから、後にも先にもたった一度だけ、静かに叱責された事がある。
兄妹喧嘩の度が過ぎて、向かって来た妹の手を払った瞬間、よろけた妹が床柱に頭をぶつけてコブをつくり泣き出した。
暑い夏休みの夕方だった。妹はひとしきり泣いて、これでもかと泣きじゃくった後、例によってじいちゃんに、事の次第を言い付けに庭続きの畑に向かった。勿論彼女に都合の良いように脚色された「兄妹喧嘩」の一部始終を。
間もなく野良仕事から戻ったじいちゃんは、地下足袋のまま縁側から家に入ると、何も言わぬまま居間にいた俺を庭に放り出した。文字通り「放り出した」のだ。軽く宙を舞って、縁側先の朝顔の鉢植えを、2〜3転がして体が止まった。
じいちゃんは何も言わずに俺を見ていた。怒りと悲しみの入り混じった眼で、しばらく俺を見ていた。俺の頭の中には、妹に対する苛立ちと、事の詳細を聴かぬまま俺をこんな、どうしょうもない気持ちにさせるじいちゃんに対しての悔しさしかなかったように思う。ひたすら歯を食いしばって泣くまいとしていた。
しばらくしてじいちゃんは俺に言った。「お前は自分より弱い者に手をあげる卑怯者か」と。じいちゃんが言った「卑怯者」という言葉の響きに、どんなにじいちゃんを落胆させてしまったのか、じいちゃんが失望したのかに思い至った俺は、おそらく妹以上に泣きじゃくったのだろう…言い訳も、説明も言葉にはならなかった。
大袈裟に言うならば、大好きな人からの信頼を失った人生で最初の経験だった。
俺は父親でなく、じいちゃんに育てられたも同然だったので、一番身近な大人の男の手本は常にじいちゃんだった。
どれくらい泣いていたのか、じいちゃんも縁側でどれほどの時間、仁王立ちしてたのか…暫くすると蝉時雨に呼応するように、雷鳴が轟き出した。風が埃っぽさを巻き上げて、夕立来るのに、そう時間はかからなかったように思う。
雷の腹の底に響くような音も、稲妻の辺りを鮮やかに照らす閃光も、不思議と怖くなかった。その時の俺には「じいちゃんに見捨てられる事」が、何よりも恐怖だった。
その後の出来事は、あまり覚えていない。暫くの間、妹と言葉を交わさなかった事位しか、どんなに思い出そうとしても思い出せずにいる。
じいちゃんが逝って七年が過ぎた。今でも雷鳴を轟かせながら夕立が来ると、じいちゃんを思い出さずにいられない。
俺にとってじいちゃんは、大切な人生の先輩で、俺自身の価値基準のベースになった男で、雷よりもおっかないのに、夏が巡る度会いたくてたまらなくなる一番大事な家族だ。
(原文のまま。)
★私が困難な状況に陥った時に思うのは、こころの中で尊敬する、あの人だったらこの場面でどーするだろうか。という問い掛けです。自身、尊敬する人を多くもつことは、確実に人としての幅が拡がります。こころの在り方ひとつで今までと違った見方ができるものです。 m
Posted by セラピストm at 16:38│Comments(0)│TrackBack(0)
この記事へのトラックバックURL
http://aosora.gunmablog.net/t16966



